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プロフェッショナルな本田圭佑!世界一への道 その2 [本田圭佑]

前回に引き続き、

本田圭佑選手が出演した「プロフェッショナル 仕事の流儀 ”世界一への道 500日の記録”」について、

感想をまじえながら見ていきたいと思います。

みなさんにも電車やバスの中で、会社や自宅で、熱くなっていただきたい。

 

2013年2月 

前回のブログで本田選手がおこなったケニア人選手を招いての走り込み合宿。

ですがそれから1ヶ月後、本田選手が練習で足首を負傷し、

スペインのバルセロナの病院で治療を受けているといいます。

合宿の成果を試そうとしている時に起きたまさかのケガ。

本田選手もやりきれない気持ちだったと思います。

 

それから3ヶ月後の2013年5月、

本田選手は長いリハビリ生活に突入してしまっていました。

足首の負傷からは復帰したものの、

次いで太ももまでをも負傷してしまい、

思ったように試合に出られない日々。

太ももをケアする本田圭佑.jpg

短期間で己を進化させるには身体を酷使する必要がありますから、

それなりの危険や代償がつきものなのです。 

 

それでも本田選手はトレーニングを休むことはせず、

チーム練習がオフの日でも休むことなく走り続けていました。

そんなストイックな本田選手のことを、

メディアは好奇の目で見るようになっていました。

 

サッカー専門誌の記者から、 

「『あなたほど自分に厳しい人に会ったことがない』と監督が言っていました。

1日のスケジュールはどうなっているのですか?」

という質問を受け本田選手は、

「練習して、ご飯食べて、寝るだけ」

という回答。

睡眠時間についても「その時の状況によりますが通常は7~8時間です」と答えるだけで、 

起きている間はサッカーのみと言っても良いような生活だそうです。

「お話したように僕はこういう人間です。

ぼくはただトロフィーがほしくてサッカー人生のことだけを考えてきました。

トレーニングにも規則正しい生活が必要ならばそれを実行するのみです。

不真面目なことをせずに。

それがぼくの生き方です」

本田圭佑選手には”サムライ”という言葉が似合いますね。 

さらに本田圭佑選手の名言が続きます↓ 

 

「凡人なわけですよ。

凡人がメッシやクリスティアーノと張り合おうと思ったら、

毎日うつですよ」

 

「すごい本当いろいろ、すごい考えるから。

いかに暗闇にいるか」

 

「かなりの変人やと思います。

それぐらいギリギリのところで戦っているっていう味方もできると思うんですよね。

ちょっとでも良くなりたいと」

 

一ヶ月後の2013年6月4日

ワールドカップアジア最終予選 対オーストラリア戦

ワールドカップ出場を決定づけるPKを本田圭佑が決めました。

そしてついにFIFAコンフェデレーションズカップ(ワールドカップの前しょう戦)に乗り込みます。

「コンフェデでしっかりと自分のプレーができれば、

ほとんどのビッグクラブは見に来ていると思いますし、

僕にとってもかなりのビッグチャンスですよね。

優勝を狙いにいくっていうのは間違いないし、

そしたらこの番組ができ上がっている頃には『ほんまにそのクラブでプレーしてんねんな』っていうようなクラブで、

(プレー)してることになってると思います」

と自信満々の本田圭佑選手でしたが、現実はそうそう甘くはありませんでした。

本田選手もビッグマウスで自分を奮い立たせているのかもしれませんね。 

 

6月15日 対ブラジル戦

本田圭佑選手はブラジルの選手との実力の差を思い知らされることになります。

結果は0-3で日本の完敗。

試合後はなかなかベンチから立ち上がろうとしなかった(立ち上がれなかった?)本田選手。

ベンチに座る本田圭佑.jpg

 

次に行われたイタリア戦では、

同点のまま後半にもつれ込む接戦でしたが、

この試合でも本田選手は大事な場面ではゴールを決められず。

3-4でこれまた日本が敗退。

 

そんな本田圭佑選手でしたが、決して能力が低かったわけではありません。

本田選手がプレーする姿は、

一流選手を多く手がけてきた代理人ブロンゼッティの目に止まります。

 

ブロンゼッティはインタビューで本田選手のことについてこう語っています。

「実際に試合を見てかなり走る選手であることを目の当たりにしました。

とても質の高い選手で、何よりも強い体力を持っていました」

ブロンゼッティは、イタリア戦でゲーム終盤まで相手を苦しめた本田選手の体力に注目。

本田選手がコンプレックスだった体力の無さを克服するために、

ケガをしている最中にも続けてきた地道な走りこみが実を結んだ証拠です。

大きなケガで引退する選手も多いなか、

折れずに何度も復活して挑戦し続ける気持ちの強さ。 

しかも挫折するたびに確実に強くなって復活してきますよね。

失敗するたびに考えに考えて、新たな道を見出す創造的な精神も必要な気がします。

 

ブロンゼッティの情報はイタリアのビッグクラブであるACミランの最高経営責任者、

アドリアーノ・ガリアーニの耳に入りました。

移籍市場が開かれると、ACミランはロシア側との交渉を開始し、

7月の末には本田圭佑のACミランへの移籍が確実だとメディアで報道されるように。

 

2013年9月

移籍が確実だと言われていたACミランとの交渉は残念ながら決裂。

本田圭佑はCSKAモスクワとの契約が切れる冬まで足止めされることに。

この時期、以前では決して見られなかったような、

本田選手が仲間とふざけあっている以外な姿もテレビカメラに映し出されています。

投げやりになっているのかとも思いましたが、 

このときの心境を本田圭佑選手はこう語っています。 

「いや、がっかりしましたよ。

だけどガッカリする暇はないですよね。

あかんかったか、と。

じゃあしゃあないなっていう感じですよね。

ぼくの場合、困難と向き合ってる時間が長いのか、

それを楽しめないようじゃ人生やっていけないと思うんですよね。

だからぼくはいつも壁にぶつかった時に自分に言い聞かせてるのは、

これを体験できるのは世界でオレしかいない。

この状況下における人間は、

この66億人の中でぼくだけなんですよね。

こんな貴重なことはないと。

めいっぱいやりきれと。

めいっぱい生きると」 

 

ACミランの移籍交渉が決裂したあとも、

再び本田圭佑は新たな課題克服に着手し始めます。

「やはりゴールに迫る形だと思うんですね。

ぼくのゴール獲るパターンっていうのがある程度限定されていて、

フリーキックだったりミドルシュートだったり。

そこに”右足”っていうものであったりとか、

いくつかそういう新しいプレースタイル。

いろいろと相手の嫌がるようなことをトライしてみたいなと」

本田選手の利き足である左足。

ですがコンフェデレーションズカップではその左足がことごとく封じられる場面もあり、

その課題をどう乗り越えていくのか。

右足や新たなアイディアなど、再び本田選手の模索の日々が続きます。

 

2013年11月19日

国際親善試合で日本は世界ランキング5位の強豪、ベルギーと対戦することに。

本田選手は新たな課題を乗り越えたのか、

その成果を試すチャンスが訪れました。 

そして同点で迎えた後半8分、

本田選手は代表初となる”右足”でゴールを決めました!

本田圭佑 右足ゴール.jpg

わかりやすいほど進化してくる本田圭佑、スゴすぎます。

 

そして12月11日、

本田圭佑選手が所属するCSKAモスクワでの最後の試合を終えた本田圭佑選手。

1月からはどこのクラブチームに行くのかとインタビューされた本田選手は、

「ちょっとまだ言えないんですけど、

ある程度みんなが予想しているところじゃないかなと」 

本田選手がそのクラブチームをえらんだ理由は自分に対する”熱”を感じたということ。

「一番必要とされているクラブに行きたいと思っていたので。

頑張ります」 

と本田選手。

そのクラブチームとはもちろん、

現在本田選手が所属しているACミラン。

この時のインタビューでは無表情を決め込んでいましたが、

どこか笑顔を我慢しているのでは?と思えるような表情でした。

 

それからまもなくACミランの最高経営責任者であるガリアーニ氏から、

本田圭佑選手のACミランへの移籍が発表されました。

 

 

「プロフェッショナルな本田圭佑!世界一への道 その3」へ続きます! 



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