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プロフェッショナルインタビュー!本田圭佑が胸のうちを明かす 後編 [本田圭佑]

今回も前回に引き続き、

プロフェッショナル 仕事の流儀」で、

本田圭佑の独占インタビューが行われた回(6月9日放送)について見ていきましょう。

本田圭佑のプロフェッショナル.jpg

前回のブログは、

本田選手がバロテッリ選手のアシストからシュートを外したところまででした。

 

 

 

もうすこし本田選手の言いわけは続きます(笑) 

「僕はバロテッリのパス外しましたけど、

自分の中で心で笑っていたんです。

『これ外すか?ホンダ』つって。

オレがスゴい泣きそうになっていると思っていたかもしれないんですけど、

結構冷静でした。

だって冷静な時間ありましたから。

で、ボールもちょと跳ねてたんですよ。

マリオ(バロテッリ)に言ったんですよ、

『お前ゴール嫌いか』ってオレに言ってきたんで、

『いやいや、お前パスをゴロで出せ、ちゃんと』って。

まあ、どちらにしても僕が外したんですけど」

さすがに本田選手も確実なチャンスを逃して動揺ぎみ……

 

結果を出せない中でも自らにプレッシャーをかけ続けていく本田圭佑。 

4月上旬の初めてのイタリアメディアの取材には、

「まもなく初ゴールを決める」と予告。

その2日後の4月7日の対ジェノア戦。 

ついに本田圭佑選手に初ゴールが!

メディアに宣言したとおり、有言実行。

イタリアでもビッグマウスと言われなくてよかったです。 

シュートを決めた本田選手はかなり喜んでいるように見えました。

 

「あのシーンはそこまで考える余裕はなかったんですけど、

パッとボールが来て、パッと走ってた感覚だったんで。

ただ最後のシーンだけはハッキリ覚えてて、

取られるかなと思ったんですよ。

ボール浮かしたあとの話なんですけど、

ディフェンス間に合うかなって、

ぼく的には間に合ったんじゃないかな。

まあラッキーというか、

クリアミスしてくれて、

なんとかゴールになってくれてよかったなと。

僕の強い意志がそうなったんであれば、

それはそれで本当に嬉しいなと思ってますけど」 

と本田選手。

メディアからは、

「日本の王子がみんなを喜ばせる」

「ミラン上昇の陰にホンダあり」

などと、一躍もてはやされる存在に。

本田圭佑 ACミランで初ゴール.jpg 

「ホンダは桜のように咲きました。

でも私たちは花だけでは満足しません。

これからは果実がいっぱいの木を見せてほしいね」

という、まだまだ油断できないぞというテレビキャスターの意見もありました。

 

「追い込まれたら、

人間生きるために死に物狂いで頑張るもんですよ。

たとえば動物が泳ぎ方なんて知らなくても、

水んなかポンと投げたら、みんなたぶん泳げるんですよ。

そんな感覚です。

だって死ぬもん。

生きる力っていうのはそういう潜在能力を秘めてるんですよ。

やったことないこともできてしまうくらい。

だから自分ができないと思ってることが、

できる可能性がありますよってことを僕は伝えたいんです」

と語る本田圭佑選手。

実際にゴールを決められたからこそ言える言葉だとは思いますが、 

追い込まれたら急に力を発揮できたというような感覚は、

誰でも1度は経験があるのではないでしょうか? 

 

本田選手がプロとしてまだ駆け出しだった頃、

口癖のように語っていた言葉があるそうです。

「毎日が修行だ」 

「過去は変えられないけど未来は変えられるよね」 

「今日失敗したら明日はその失敗をしないように成功させよう」 

というのが本田選手が話していたキーワードだったんだとか。 

 

ここで本田圭佑の簡単なプロフィール紹介がありました。

本田選手がサッカーを始めたのは保育園の頃。

憧れはサッカーの王様と言われるペレ選手。

ずば抜けた才能はなかったものの、

本田選手のこんなエピソードが紹介されました。

本田選手は仲間にリフティング勝負で負けて帰ると、

次の週にはその相手を抜いてくるそうです。

周りの人達は「えっ!?なんで?」という感じだったそう。

3つ年上の兄が最大のライバル。

負けても負けても勝つまで食らいつく。

兄が中学生になると、

本田選手は小学4年生ながら中学校の部活に参加するという型破りな行動に。

その姿を見ていたサッカー部監督の田中さんは、

本田選手にガンバ大阪ジュニアユースを紹介。 

ですが才能がひしめく選手たちのなかで、本田選手は注目されることはありませんでした。

当時はそこまでサッカーが上手いわけでもなく、

足も遅いし体力もない。 

「良い選手にはならないだろうな」と思われていたそう。

ですが人1倍努力家で負けず嫌い。

誰よりも早く練習に来て、練習が終わっても1人最後までボール蹴っていたのだとか。

それでも中学3年の時、

努力もむなしく上のユースチームには昇格できないと告げられました。

小学校の卒業アルバムに書いた世界一のサッカー選手という夢。

その夢がかすみそうになっていました。 

 

その後本田選手が入学したのが北陸の強豪、星陵高校でした。

入学当時に本田選手が発表した目標が「ワールドカップ優勝」。

当時のチームメイトは、

「生意気ですね。

関西からクソ生意気なやつが来たぞみたいな。

あいつの課題っていうんですか、

『1対1強くなりたいからちょっと1対1せえへん?』とか、

『オレはこれがしたいからちょっとつきあってよ』みたいな。

ご飯は必ず2杯3杯とよく食ってましたね。

よく絡んできて、よくみんなで飯食ってたんですけど、

みんな『腹いっぱい』って言ってるところに、

あいつはそういうところでも負けたくないっていうか、

『オレまだ食うよ』みたいな感じでおかわりいつもしていましたね、常に」

と語っていました。 

 

本田選手が高校2年の頃に参加した名古屋グランパスの練習で、

本田選手はこんな事件を起こします。

自分にパスを出さなかったプロ選手にキレたのだとか。

しかも名古屋グランパスの絶対的エースであったウェズレイ選手に。

当時の名古屋グランパスの監督はその時、

本田選手が将来大物になる可能性を感じたそうです。 

 

そのウェズレイ選手はクラブ幹部に、

「あの選手と契約すべきだ」と言ったそう。

そして本田選手に「本気で練習すれば日本代表にたどり着ける」とも言ったそうです。 

 

高校卒業後は本田選手は名古屋グランパスエイトに加入し、

プロとしての道を歩み始めます。

そして21歳でオランダのVVVフェンローに入団しますが、

当時はメンタルの弱さが露呈して「役立たず」とののしられる日々。

でも折れずに挑戦し続けたことでゴールハンターに変貌を遂げました。

24歳でロシアに移籍したものの、ケガで選手生命の危機が。

それでも「ケガはチャンス」ととらえ、

リハビリを肉体改造の場に変えます。

 

「基本的にはですよ、

ゼロとは言わないですけど、

天才なんかこの世にほぼいないと思ってます。

で、才能の差は若干なりともあるというのも認めます。

ただ、若干でしょ?ってことを僕は言いたいんです。

 

「ライオンとね、格闘するわけじゃない。

馬と競争するわけじゃない。

あいつが別の生き物だとか、

あいつだからっていう考えは、

馬やライオンにすればいいんです。

そんな天と地がひっくり返るほどの差はないでしょ?って。

だから僕よりも才能のある選手に僕は今までも勝ってきたし、

なぜならそんな差はなかった。

でもその差が大きいと見るか、

超えられるものと見るかは、

自分次第なんです」 

 

「『大きな夢を持ってください』と僕はいつも言うんです。

絶対に叶うって言うふうには僕は言ったことも1度もないし、

ただ、頑張れば叶う可能性があるわけです。

頑張るということは自分で決められる。

ただ、頑張るつもりがないなら夢は叶うわけない」 

 

 

本田選手がセリエAで初ゴールを決めてから10日ほどたった4月16日、

本田選手は新たな試練に見舞われていました。

練習中に左足首を捻挫し、

しばらく試合を欠場することに。 

初ゴールを決め手1歩踏み出した矢先のことでした。

ですが本田選手は、

「今までの試練が試練すぎて、

足をひねったぐらいじゃ試練ともなんとも思ってなくてですね、

歩いてたら石ころが落ちているような感覚です。

蹴飛ばしてしまえば、そこでおしまい」

 

本田選手の初ゴールをきっかけに、

サポーターやマスコミの風向きも変わってきました。 

「とても優しそうで感じがいいわ。

他の選手と違ってみんなにサインしたり写真を撮らせてくれたり」

など、本田圭佑選手に好意的な声が増えてきました。

 

足首の痛みは完全に消えたわけではありませんが、

本田選手は先発での出場を監督に打診されました。

当時のACミランの監督であるセードルフは、

「ホンダには粘り強さがあります。

試合中90分間絶対に集中力が落ちません。

これは素晴らしいことです。

他の選手にも要求したいことです。

彼の姿勢を見て私でさえも刺激を受け、

他の選手にも良い影響を与えられればと考えています」

と語っています。

 

その頃から本田選手のチーム内での立場も変化してきます。

練習中にたわむれる選手に本田選手がモノ申すといった場面も見られるように。

「カカとバロテッリと友だちになりたいと思ってないですからね、別に。

仲悪くないですよ、仲良いですけど、

あやかりたいなんて思ったこともないし、

いい意味で普通に「抜いたろ」と思ってるだけの話ですから。

カカがバロンドール獲ったことがあるんだったら、

オレだって不可能じゃないと思ってますよ。

すごいですけどね。

カカやバロテッリのような身体能力っていうのは、

僕には残念ながらないですから。

彼らのような豪快なゴールっていうのは、

今後決められるかわからないですけど。

ただ彼らにないものを持っているという自負があるんで、

それを最大限に生かせば、

世界一に到達できるんだっていうことを、

今までやってきた自分を信じて、

その信念を貫いていきたいなと思ってますけどね」

 

2014年4月25日

本田選手は怪我を押して先発に復帰。

コンディションも万全ではなく理想の自分とは遥か遠いが、1歩ずつにじり寄る。

後半、フリーキックをカカに譲らない本田選手の姿が。

結局はフリーキックをカカに譲ったものの、徐々に本来の本田選手が戻ってきたような印象。

 

 

5月4日

同じ日本人の長友選手がいるインテルとの大一番(通称”ミラノ・ダービー”)。

”日本人対決”と注目が集まりましたが、本田選手には出場機会は与えられませんでした。 

試合終了後、静まり返ったスタジアムで本田選手が1人で走り始める。

試合に出なければ身体はたちどころに鈍ってしまいます。

ワールドカップに向けて、

1日も早くベストコンディションを取り戻さなければなりません。

 

 

番組ラストのワールドカップに向けてのインタビューでは、

「全世界をまさかと言わせることが僕の1つのターゲットですから。

それをずっと思い描いてきたわけですから。

あとはゴールの枠にボールを飛ばすだけだと。

それを僕が蹴ろうが人が蹴ろうがいいんですけど、

チームとしてどの試合も、

思い描いたことを具現化するだけだと思ってます」

という本田選手の強気な発言。 

 

最後の「プロフェッショナルとは、」という質問に本田選手は……

「全然準備してないですよ。

プロフェッショナルとは、ですか。

オレ全然準備してないですよ」

とかなり焦った様子を見せながら、

 

「自分がしている仕事に対して真摯であること。

すなわち一生懸命であること。

真面目であること。

真面目ってだけで、

十分プロフェッショナルだと思います」 

 

と回答してくれました。 

 

 

これで今回の「プロフェッショナル 仕事の流儀」は終了。 

本田選手の熱い言葉やちょっと笑える(?)言葉が満載でした。

皆さんも本田選手の名言をや生きざまを、

心の栄養ドリンクとして日常生活の役に立ててみてくださいね!

 

 



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