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プロフェッショナルな本田圭佑!世界一への道 その1 [本田圭佑]

本田圭佑選手は2014年6月2日に放送された、

「プロフェッショナル 仕事の流儀 ”世界一への道 500日の記録”」に出演。

本田圭佑 プロフェッショナル2.jpg

この番組はワールドカップ直前スペシャルとして、

2週にわたって本田圭佑選手が特集された時の第一週目。

以前も同番組で”さらなる進化へ 本田圭佑500日の記録”というのが放送されましたが、

違う放送回なので、注意してくださいね。 

 

といっても番組を丸々見るとなると結構な時間がかかってしまうので、

ここでは感想を交えながらポイントをまとめていきたいと思います。

本田圭佑選手の生きざまや熱い言葉で、

忘れかけていた情熱やパワーをみなぎらせてみませんか?

 

それでは行ってみましょう。 

 

 

まずは番組の冒頭、

「”奇跡”を信じますか?」という質問に本田選手は、

「あるんかなぁと思う一方、

僕は奇跡はないと言い切りたいですね」

「奇跡を起こすのはあくまでも自分の行動だとおもうので。

いかにも奇跡というとなにか偶然でものごとが起こったかのような言い方じゃないですか。

でも違う。

そこは必然だったと考えるべきだと思いますね」

と語りました。

自分の力で新たな道を切り開いてきた本田圭佑選手ですから、

言葉にも力強さがありますよね。 

 

2013年1月5日 沖縄

本田圭佑選手は石垣島でつかの間の休暇を過ごしていました。

といってもゆっくり休んでいるわけではありません。 

2003年世界陸上の1万メートル走で銀メダルを獲ったケニアの選手や、

大阪マラソンで優勝したその兄弟。

サリム・キプサング.jpg

世界屈指のランナーたちと10日間みっちり走りこむといいます。 

やはり世界で戦うとなると、

オフの日でもおちおち休んでられないのでしょうね。

小学生から20年くらいずっと部活を続けている感覚でしょうか? 

 

そしてさっそくケニアの選手と走りこみを始めます。

さすがに世界的なマラソン選手達だけあって、本田選手もついていくのがやっと。 

「サッカーでゴールを取るために不可欠な能力が2つある。

瞬発力と持久力だ。

イニエスタやシャビを知っているかい?

持久力があるから走り続けているだろう」

と話す本田圭佑選手。

イニエスタ、シャビとは世界トップクラスのサッカー選手の名前です。

本田選手は世界の舞台で活躍していかなくてはならないので、

ほかのサッカー選手には負けてはいられないのです。 

 

本田選手には”世界一の選手になる”という壮大な夢があります。

小学校のころの文集には、

「ぼくは大人になったら世界一のサッカー選手になりたいというよりなる」 

と記されています。

その始めのチャンスが訪れたのは本田圭佑が24歳の時でした。

2010年のFIFAワールドカップ。

本田選手は最高の輝きを放ち、

外国人に当たり負けしない強靭なフィジカルや卓越したテクニック。

2得点の活躍で日本をベスト16まで押し上げました。

その後はCSKAモスクワに移籍し、

ロシアリーグでチームの中心選手として活躍。 

ロシアリーグでは度重なるケガで引退の危機もあったものの、

CSKAモスクワをリーグ優勝に導きました。

 

ですが2012年に中東のオマーンで行われたワールドカップアジア最終予選、

本田圭佑選手は猛暑による体力不足でミスを連発。

勝負どころでバテている選手が世界一になれるはずがない。

これが石垣島で合宿することを決めた理由なのでした。

 

「肝心なときゴール前行ったときにはバテてるわけですよね。

それがぼく悔しくて。

終盤相手が疲れてきていても、自分も疲れてくるわけじゃないですか。

でも僕は余分なエナジーがあってしっかり楽しめるくらいの体力をつけたいし、

とりあえず救急車だけは呼んどいてもらえますかね(笑)

『プロフェッショナル』史上撮影中に倒れた人います?

第一人者になるかもしれないです」 

 

そして1月6日 石垣島合宿3日目

陸上競技場で400メートル走を繰り返します。

半周走って42秒。

ケニア人選手が「遅いよ」とペースを上げ始めた。

負けず嫌いの本田選手は必死に2人のケニア人選手に食らいつく。

そして最後の周回、ケニア人選手から「最後はキミが引っ張る番だ」という声。 

その時本田圭佑選手から、

「I can do everyting.

If I want.(なんだってできるさ、やろうと思えばね)」 

という名言が飛び出しました。

とうに限界は過ぎているはずの本田圭佑選手の顔には笑顔が浮かぶ始末で、

最終周はプロにも劣らない記録が飛び出します。

ケニア人選手も「なかなかいいじゃないか」と満足している様子でした。

ケニア選手2人と本田圭佑.jpg

 

「こないだ言われました。

うらやましいって。

なんでそんな課題ばっかみつかるん?って。

アホ、別に見つけたくて見つけてるわけじゃないわ!って。

確かにアホみたいに課題見つかってくるから。

世界に誇れることが見つかりました。

課題の多さです。

世界で一番課題多いと思います。

その伸びしろに(可能性を)感じてるんです。

まだまだ伸びるって。

なぜならオレ体力ないから」

さらに本田選手は、 

「小さい頃からぼく体力なかったですよ。

コンプレックスだったんですよ。

それ克服したとき自分の成長だけが満足なんで、

自分のコンプレックスを人に言うのが全然恥ずかしくない。

それがスタートなんです。

10日間ですべてが変わるわけじゃないんです。

でも10日間でその後のすべてを変えるきっかけにするんですよ」

とも言います。

本田選手は2013年時点で27歳でしたから、

年齢との戦いもあって休んでる暇なんてないんですね。 

 

走りこみをしたあとは、

「ゴールの枠に3本連続で当てるまで帰らない」というゲーム。

極限まで疲れた状態でどれだけ正確に蹴ることができるか。

「折れるな折れるな折れるな」

「終わらせろよしっかり」

「でかいねんボケ!」 

など、自分自信に喝を入れ続ける。 

ゴールポストのバーが見えなくなってきて、

1時間弱(およそ)、213本でようやく成功。

 

合宿を始めて一週間の1月12日 

ケニア人選手から呼吸の仕方を教わる本田圭佑選手。

ケニア人選手が「疲れて呼吸が速くなると走るスピードが遅くなる」と話をし、 

「呼吸だけでも難しいね」と苦笑いの本田選手。

長年サッカーをやってきても知らないことはたくさんあります。 

 

「『もうダメだと絶対に言うな』といつも言ってるんだ。

『まだまだやれるだろう』と」と言うケニア人選手。

本田選手も「ボクはまだまだ成長できますよ」と言い返していました。

 

2013年1月13日

合宿の最終日、

本田選手は石垣島の人たちにプレゼントを用意していました。

島の子どもたちを集めてのサッカー教室。

土砂降りのサッカー教室 本田圭佑.jpg

「今日はうるさめに言おうかなと思ってるんで。

あえてうるさく言うんで」

と本田選手。

「つねにどんなボールが来てもいいようにいろんなイメージを作っとけ。

強いパス弱いパス、どんなパスでもくるぞ」

と情熱を持って子どもたちを指導する。 

 

ですが徐々に空が暗くなり、天気はついに土砂降りに。

本田選手も「帽子似合わへんって有名やけど」と帽子をかぶりながら指導する。

「雨でサッカー中止なんてボク聞いたことないです」

 

「子供の頃というのは、みなさんも経験したかなと思うんですけど、

うまくいかなくて傷ついたときとか、

どちらかといったらそっちのほうが多いと思うんです。

できた喜びを感じたときよりも。

ぼく自身もそうでしたし。

でも、いつかは勝つと。

そういうような考えで練習に励んで欲しいし、

無限の可能性を信じて、

あきらめずに夢をしっかりと自分の中心にすえて、

自分の道をね、誰にも左右されずに、

突き進んでほしいなと思うんです」

 

「お前らがプロになるまでオレがプロでいるかわからへんけど、

石垣島初Jリーガー、そして海外選手。

期待してるからみんな頑張って。

みんなありがとう、頑張れよ。

やれよ、なんでもできるぞ。

お前らの年齢やったらまだまだ。

夢を大きく持てよ」

本田圭佑選手からの熱い言葉でサッカー教室は幕を閉じたのでした。

 

その2へ続きます! 



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