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プロフェッショナルインタビュー!本田圭佑が胸のうちを明かす 前編 [本田圭佑]

本田圭佑の独占インタビューが行われた番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」。

ここでは2014年のワールドカップ直前の6月9日に放送された本田圭佑選手のインタビューを、

個人的感想をまじえながら見ていきたいと思います。

ちなみに今回6月9日に放送された回は、

前の週の6月2日に放送された本田圭佑特集と合わせて2週連続放送ということになっていました。 

それでは本田圭佑選手の熱い言葉の数々を見ていきましょう! 

 

 

まずは今回の独占インタビューに至った経緯から。 

4年前の2010年(2015年現在では5年前)

日本は惜しくもワールドカップベスト8を逃してしまいました。

そして1年後の2011年9月、

本田選手は初めてプロフェッショナルの番組のロングインタビューに登場。

「自分はまだまだやれると。

もっともっと凄いスピードで成長していけるというふうに思ってるんで」 

「これから2年後はどこにいてもおかしくないと僕は思ってるんで。

必ずやりますよ」

そして必ずやりますよという言葉の通り、本田選手は世界的なビッグクラブであるACミランに移籍。

今回のインタビューは「”有言実行の男”本田圭佑スペシャル」と題して、

2011年のインタビューに続き第二弾です。

 

 

2014年の本田圭佑のイタリア移籍は苦難に満ちたものになりました。

入団会見が最もスポットライトを浴びた瞬間になってしまう。

(ちなみにこの放送の後は徐々に本田選手がイタリアで活躍し始めた)

入団会見では「自分の中のリトル・ホンダに聞いたんだ。

どのクラブでプレーしたいんだ?と。

かれはこう答えた。

『僕はACミランでプレーしたいんだ』と」

という名言も飛び出しました。

ですが本田選手が加入した当時のACミランは、

過去20年間で最悪と言われた絶不調の時期。

本田選手はその救世主となるはずでしたが、

思うようにコンディションが上がらず精彩を欠いた。

試合の実況では「ホンダのスピードでは抜ききれない」といったような言葉も飛び出す。

期待したサポーター達からはブーイングの嵐。

 

セリエAがシーズン中の4月15日

本田選手が今回のロングインタビューに応じ、

胸の内を明かしてくれました。 

「自分自身にとっては想定内の部分も多かったんで、

当然ながらこの移籍を決断したときも、

うまくいかないだろうなっていう部分もわかっていてこっちに来ましたし、

実際に来てみて、

数字という面では本当に結果が出せなくて、

ミランの選手そして10番としては何も貢献できてないと言われても、

何も言い返すことができないんですけど、

でも大事なのはそれを残すためのプロセスが僕にとっての手応えとしてはすごい大事で、

その感覚は日に日に良くなっていってるなと思うんですね。

なので悔しい思いをしつつも、我慢をしつつも、

不安っていうのとはちょっと違ったかなという風には。

『もう来い』みたいな感じで、でもまあ来ないと。

もっともっとやり続けないとなっていう。 

もうその継続性だけでしたね」

 

本田選手は少しづつ手応えを感じながらも、

なかなか結果が伴わない日々が続きます。

その中でも本田選手にとって、

一つだけ想定外のものがあったといいます。

それはメディアからの痛烈な批判。

「戦う気もない。本当に失望」

「おもちゃの兵隊。本物のトップスターにはとても見えない」 

「ムダで使いものにならない」 

など、本田選手にとっては想像以上の内容でした。

本田選手のイタリア語の先生も、

本人に新聞を見せてもいいかどうか迷っていたらしいのですが、

本田選手が「読み上げてくれ」と言ったところ、

「案の定、なかなか書きよるなというようなことが。

気持ちよくはないですけど、

嬉しい気持ちもあるんですね。

1試合2試合ダメで叩かれるんですよ。

自分に求めてるものって高いんだなって思うじゃないですか。

だって僕に期待してなかったら僕のこと批判する必要はないんですよ。

もう無視しときゃいいんですから」

 

本田選手を批判するないようで特徴的だったのが、 

「本田、違和感」

「本田は火星人。

周囲から理解されていない」 

などと、本田選手がチームに馴染めていないというものでした。

ACミランは不振だとはいえ各国のスター選手が揃うチーム。

本田選手はあくまで新参者なので、

本田選手にはパスが回らず孤立することも多かったのです。

「まずは味方との意思疎通。

それができてないなと。

当然ですよね。

来て1ヶ月2ヶ月でお互いのことが分かるわけはないのに、

ただなんとか1日でも早く、

本田とはこういうプレーヤーなんだと。

当然ボクもみんなのプレースタイルを理解する。

そのためにしっかりコミュニケーションを取るということをまず意識して、

取り組みました」 

 

2014年の1月、

本田選手が入団した直後は、

コミュニケーションは主に英語。

それから3ヶ月後の4月には、

本田選手はイタリア語習得のギアを上げていました。

練習の間はイタリア語で通し、

レッスンも最大で週4日に。

チームスタッフからも「上手になったな」と褒められる場面も。

チームメイトとの仲も少しづつ良くなり、カメラに日本語で挨拶してくるメンバーも。

「まずはしっかりと自分がこうしたいということを伝える。

そして話を聞く。

そこでどう自分の意見を飲み込んでもらえるか。

飲み込むためには相手の要求を聞かないといけないのか。

その交渉事を練習前、練習後、試合前、試合後、試合中、練習中に、

チャンスがあればやる」

と本田選手。

ただ、 

「ただこういう交渉事がすべてうまくいくタイミングというのは、

ゴール決めたあとからなんですね。

やっぱそうなんですよ。

シンプルなんですよ。

海外の人っていうのは日本以上にそのへんシンプルで、

プロセスよりも結果を見るんですね。

ボクがそれはわかってたから、

なんとか得点が欲しかったし」 

という成果が出なければどうしようもないという現実もあります。 

 

ですが本田選手の思惑とは裏腹に、 

3ヶ月間はリーグ戦でノーゴール。 

これには明確な理由もあります。

それは監督の交代によるポジションの変更。

これまでの本田選手はトップ下(中央でボールをつかさどる役割)のポジションにこだわってきました。

トップ下は味方を活かしながらみずからもゴールを狙うポジション。

ですがACミランでトップ下をつとめるのがブラジルのスター選手カカ。

本田選手は右サイドに転向。

サイドのポジションは個人で状況を打開することが求められます。 

ですが本田選手は1人で突破するほどのスピードがありませんでした。

 

サポーターからのチームへの批判は日増しに高まっていきました。 

サポーターからは「なぜ金食い虫のホンダと契約したのか」という批判も。

本田選手自身も監督に「トップ下をやらせてほしい」と訴えましたが、

聞き入れられませんでした。

そのころ本田選手は「チームを出る」ということも選択肢として考えていたそう。

ですが本田選手は”監督と徹底的に話し合う”という責任の取り方を選びます。

トップ下をやりたいと伝えつつ、

なぜ自分を右サイドで起用するのか。 

その意図を何度も確認していったといいます。

そのたびに少しづつ本田選手のプレーも良くなっていったのだとか。 

「上司のやっていることを疑っていると、

どうしても生産性が上がらない。

それをクリアにするためにはもう、

コミュニケーションをはかって自分が納得する以外ないわけですよ」

 

2014年3月23日

ACミラン対ラツィオ戦。

右サイドでのプレーを理解した本田選手に、

随所でパスが入るように。

本田選手はこの試合で手応えを感じたといいます。

3月29日の対キエーボ戦。

負け続きだったチームもついに5連勝。

 

ですが本田選手、バロテッリ選手のアシストもむなしくシュートミスをする場面も。

バロテッリに謝る本田圭佑.jpg

その時のことを本田選手はこう語っています。

「自然現象だと思うんですよ、

(ゴールを)取りたいがゆえの力みって。

だって取りたいわけですから。

その思いが強ければ強いほど力むと思うんです。

だから力みたくなければ、

(ゴールは)必要ないと思うほうがいいわけですよね。

それは違うと思っているんで。

べつに逃げたいわけじゃないんで。

批判されたくなければ移籍をしないほうがいいわけです、

あえて言うなら。

りきみにいってるんです。

それだったらもっとチャンスに顔を出して、

シュート10本打ったらいいと。

10本あったら1点は入るだろうと」 

さすがにこれは言いわけにしか聞こえません(笑)

 

 

「プロフェッショナルインタビュー!本田圭佑が胸のうちを明かす 後編」へ続きます! 

 



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