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本田圭佑特集!「Challenge! Global Athlete」 後編 [本田圭佑]

今回も本田圭佑選手が特集された、

Challenge!Global Athlete(チャレンジ!グローバル・アスリート)の内容見ていきたいと思います。

ちなみにこの番組は2008年に放送されたもので、

本田圭佑選手がオランダにいたころのものです。

今回のブログでChallenge!Global Athleteの話は最終回です。 

 

 

未来のために”今”を大切にする本田選手。

リーグ戦の試合後のインタビューでは、 

「自分の納得いく形の結果というのは、

なかなか得れるものじゃないなと。

ただそれをね、

求めるのはプロとして必要なことなんで、

今後も高い目標持ってね、

結果を求めて頑張りたいなと思います」

と語ってくれました。

 

後日、クラブの練習場でのインタビューでも、 

「もっと苦しい、高い壁にぶつかるかもしれないですけど、

これからも挑戦し続けていって、

もっともっと大きな自分を見つけるために、

頑張りたいと思います」

と、常に向上心を持っていることを語る本田選手。

 

番組の終盤で本田選手は”チャレンジ”について聞かれます。 

本田圭佑 チャレンジについて語る.jpg 

「挑戦のない人生なんて……

オレはあまり面白みのない人生だな、

という感じがします。

リスクがあるから面白くて、

やっぱ必死になれる」

 

「僕にとってオランダという舞台が、

最後のステージとしては考えてないので、

少しでもレベルの高いところに行って、

自分を磨きたいなっていう風に思ってます」

 

 

(ナレーション) 

本田圭佑。

自身も想像しえない、

大きな自分と出会うために。

海外での挑戦は、

これからも続いていく。

 

 

最後にナビゲーターの荻原次晴さんのコメントが入ります。 

荻原次晴 チャレンジ!グローバル・アスリート.jpg

「本田選手の言葉の1つ1つに、

芯の強さと自分への厳しさを感じました。

そして、

強い向上心には22歳とは思えない貫禄があります。

サッカーがもっとうまくなりたいと貪欲にプレーする本田選手が、

さらに成長して世界のビッグクラブでプレーする姿を見たいですね。

チャレンジしない人生なんてつまらない。

本田選手の言葉にハッとさせられました」 

 

 

以上で番組は終了です。

いかがでしたか?

前編、中編、後編と3回に分けて見てきましたが、

本田選手の熱い気持ちが、

こっちまで伝わってくるような気がしました。 

現在もロシア、イタリアと着実に夢を叶え続けている本田選手。

これからも私たちに夢や希望を与え続けて欲しいですよね!

 

 

 

その後、オランダ2部リーグでMVPを獲得した本田選手。

そしてVVVフェンローは1部リーグに昇格を果たします。

本田選手の人気や知名度も上がり、 

町を歩けば本田選手の周りには人だかりができるほど。

本田選手はオランダで最も有名な日本人となっていました。

北京オリンピックでは注目されなかった本田圭佑選手に、

ようやくヨーロッパの名門クラブからの視線も注がれるようになります。 

 

(ここからは「スポーツ大陸」という番組の内容です)  

本田圭佑選手はオランダではカイザーケイスケ(皇帝ケイスケ)と呼ばれるように。

ですが本田選手は満足してはいません。

「ステップアップしていくにつれて、

やっぱり過去の自分というのはショボく感じるから、どうしても。

なんであんなやり方やったんやろとかね、

それはでも年々感じてることですよ。

自分の前年を振り返って、ショボさというのは。

そん時は全力やってるつもりなんですよね。

だから弱いんですよね人間。

この現状に慣れてしまったことに気づいていないんですよ、自分自身。

慣れっていうのは人としてすごい能力だと思いますけど、

逆にやっぱり人の成長を止めてしまう能力でもありますよね。

メリット・デメリット両面持ちあわせてますよね」

自分の現状に満足してしまったら、

そこで成長はストップしてしまいますよね。

大人になってプロのサッカー選手になっても、

本田選手は変わらずに大きな目標を達成するために、

自分を磨き続けているのです。 

本田圭佑 スポーツ大陸1.jpg

 

オランダに来て2年、

本田選手が大切にしている時間があります。

それは子供たちとサッカーをする時間。

ドイツ在住の日本人の子供たちを集めての練習試合。

オランダとドイツのチームを招いての試合をおこないます。

ですがいざ試合が始まってみると、

日本人チームはあまりの実力差に為す術がありません。

本田選手は諦めかけている日本チームの子供たちに、

どうしても点を取らせたいと声をかけて気合を入れ、

奮闘します。

「必死じゃないですか。

そういう気持ちがなかったら、

オレダメなんじゃないかなと思うんですよね。

そういう負けたくないっていう気持ちが、

やっぱりすごい成長につながると思いますし。

『もうホントに悔しい』みたいな。

もう悔しすぎて涙が出てしまうみたいな」

本田選手は子供の頃から諦めずにサッカーをやってきたからこそ、

プロのサッカー選手になれたのです。

 

「オレだってそんなんやったら全然天才タイプじゃないし、

それで才能がないから諦めろなんて言われてたら、

どんだけの人が一瞬で諦めなあかんねんと。

自分の夢そんなに簡単に諦められるかって話でしょ?」

と怒り混じりの強い口調で話す本田選手。

「足速くなかったらもうやめてくださいと言われたら、

どんだけの人がやめないとダメなんですか。

そんなふうに諦められないですよ。

簡単にはね」

怒りや悔しさをバネに、

日本のエースになるまで飛躍してきた本田選手。

本田選手は子供の頃から、

足が遅いとか体力がないとか言われてきましたからね。 

体力がないのなら、

トレーニングすれば良いだけの話です。

 

2010年元旦、

初詣に行く本田選手。

ロシアのCSKAモスクワへの移籍を決めた本田選手ですが、

なぜワールドカップ直前の大事な時期に移籍を決めたのか、

気になりますよね。

本田圭佑 スポーツ大陸.jpg

「ワールドカップで勝つには、っていう風に思ってましたんで、

1番の理由はやっぱり何試合かDVDでね、

ロシアのリーグの試合を見たんですよ。

その時にやっぱり思ってた以上にレベルが高かったっていうのが、

僕の中で1番大きな理由になったかなっていう風に思っています。

まあリスクですけど、

僕の人生なんてリスクそのものなんで、

これからもこのスタイルは変わらないですし、

もう我が道を行くじゃないですけど、

自分がね、こうだと思った道をね、

迷わずにね、

最後までホントにやりきりたいというか、

突き進んで行きたいなという風に思ってます」

立ち位置を安定させてワールドカップの準備をするよりも、

リスクを負って常に自分を向上させ続ける道を選んだということでしょうか。

でもその選択をしたおかげで、

2010年のワールドカップで日本はベスト16入り。

本田選手もその名を世界に知らしめることとなります。 

 

本田選手がロシアのCSKAモスクワに移籍してから1ヶ月が過ぎた2010年2月。

シーズンオフのチームは暖かいトルコで合宿していました。

ロシアでも個人通訳は付けていない本田選手。

CSKAモスクワの「CSKA」とは、

「陸軍中央スポーツクラブ」の略称。

このチームを出発点に、

世界のビッグクラブへの移籍を狙う若者たちが集います。

強靭なフィジカルと運動量の多さがCSKAモスクワの特徴で、

走り込みだけで1時間以上費やされます。

本田選手にとってはレギュラーが保証されているわけではないので、 

走りこみもアピールの場です。

ミニゲームでも本田選手は苦戦していました。

オランダでは”皇帝”と呼ばれていた本田選手にもボールが回ってきません。

だれもがポジションを獲得するために自分を必死にアピールしているのです。

ロシア人主体のチームでは、

やっと覚えた英語も通用しません……

またこれから、

本田選手の新たな挑戦が始まるのです。 

 

この先もロシアで本田選手には数々の苦難が待ち受けていますが、

それを乗り越えてACミランへ移籍するのはまだまだ先の話です。

2015年もACミランで本田圭佑選手がどんな活躍を見せてくれるのか、

楽しみで仕方ないですね!

 



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