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本田圭佑の評価は?海外の反応をチェックしてみる [本田圭佑]

本田圭佑は、日本では世界に誇るサッカー選手と言われていますが、

「海外の人たちにはどう思われているの?」

「実は有名なのは日本だけじゃないの?」

など、海外の反応も気になりますよね。

手を叩く本田圭佑.jpg

ここでは本田圭佑選手の海外メディアやファンの評価などをチェックしていきます。

あなたの本田圭佑評とくらべてみましょう。 

 

 

まずは海外の、本田圭佑に対する好意的な反応から見ていきます。 

2014年にACミランに加入した当時は思うような結果が出せず、

イタリアのサポーターやマスコミからはブーイングされることも多かった本田圭佑選手。

ですが2014年の後半は本田選手の活躍が目立ちはじめ、

本田圭佑に謝罪するようなファンやマスコミのコメントも増えてきました。

では具体的にどんなコメントがあったのか見ていきましょう。

最初はイタリアのニュースサイト「Giornalisti nel pallone」でのコメント。 

「本田に許しを請いたい。

わたしはずっと彼の獲得はマーケティングの一環だと言い続けてきたが、

彼は間違いだと証明した。

7試合で6ゴールはまぐれでも何でもない」

本田選手が”マーケティングの一環”と言われたことを知っていた場合、 

そうとう悔しい思いをしたのではないでしょうか。 

イタリア人はコロコロと都合よく評価を変える、

いわゆる”手のひら返し”が批判されることがありますね。

あとからなら誰でも、いくらでも好きなことが言えます。 

 

またACミランのサポーターなどからは、

「誰だよ、本田圭佑は大したことなかったとか言ってたやつらは……」

「すまない本田……。

昨シーズンは君のことを叩いてしまったオレを許してくれ」

本田圭佑がACミランに入団した当初はブーイングしていたサポーターも、

徐々に本田選手の実力を認めはじめてきています。

さらに、 

「正直言って、本田圭佑は最も過小評価されているサッカー選手だと思う。

彼はもっともっと評価されても良いはず」

「ホンダのことを全然ダメだとか言ってたヤツらは彼に謝らないといけない。

最近の彼の活躍ぶりを見てみろよ!」

「今シーズンの本田圭佑は見ていて本当に楽しい。

出だしは悪かったけど、今はミランで上手くいっていて嬉しい」 

「ホンダはもともと高い実力を持ってたんだよ。

昨シーズンだってゴールを決められなかったけど動きは悪くなかったんだから」

「本田圭佑は今シーズンのミランの得点の50%に直接関わっている」

「本田圭佑は守備の面でも素晴らしい実力を兼ね備えてるということを忘れてはいけない。

本田はもはやチームにとってなくてはならない存在だ」 

といった本田選手を賞賛するコメントも多く見られます。

ACミランの本田圭佑.jpg

 

そしてイタリアのニュースサイトの「Leo Sport」では、 

「最初われわれは大いに期待し、

その後実力が伴わないものだと思った。

ただ、いまはACミランがチャンピオンズリーグの舞台に上がれるかどうかが彼の肩にかかっている。

ホンダ(自動車メーカーのHONDAと同じ名前)という名前のわりに少し遅れてしまった感はあるが、

日本からやってきた男にあらためて”ようこそ”と言いたい」

さらに、 

「かつてのようなレベルではないセリエAだが、

それでも成功することは難しい。

本田圭佑はデビューシーズンが後ろ向きだっただけに、

華麗なまでに偏見を賞賛へと変えてみせた」

というコメントが出されています。

 

イタリアのメディアでは手のひら返しをすることは前々から知られてはいましたが、

批判をした選手に謝罪文を掲載することは異例だそうです。

もちろんイタリアメディアには、

「褒めるときは褒めて批判するときは批判する。

手のひら返しは中立な立場でいることの証だ」

という言い分もあるわけですが。 

とにかく本田圭佑選手の潜在能力に驚く人が続出したということですね。

日本のファンの方の中にも、

本田圭佑選手が活躍しはじめてホッとした方も多いのではないでしょうか。

 

最後にACミランの監督のフィリッポ・インザーギ監督の本田圭佑に対するコメント。

「本田はテクニックに溢れるだけでなく、フィジカル面も優れているんだ」

インザーギ監督は本田選手がブーイングを受けていた頃から本田選手を評価していました。

もちろん選手の精神面をサポートするのも監督の役割だと思いますが、

2014年の6月にインザーギ監督が就任した後から本田選手が活躍し始めましたよね?

本田選手が活躍したのは選手と監督、双方の実力が噛み合った結果なのではないでしょうか。

ACミランの本田圭佑1.jpg

 

 

お次は本田選手に対する批判的な反応も見ていきましょう。

「本田のパフォーマンスはヒドいな」

サポーターのストレートな意見。

これは2014年の12月、ACミランの最終戦直後の反応です。

2014年の最後は9試合連続ノーゴールで終わってしまった本田選手。

一時は得点ランキングに名前が挙がるほどの活躍を見せた本田選手ですが、

そうなるとやはり相手からのマークも厳しくなってきますよね。 

ですが逆境の時でもあらたな課題を見つけ乗り越えてくる彼ですから、

2015年はまたまた進化した姿を見せてくれるのでは?という思いもあります。

一流選手はマークされてなんぼですから、

相手チームの守備をはるかに上回る活躍を期待したいですね! 

 

「本田圭佑は素晴らしい選手だけど、唯一不安な点があるとすればそれは年齢だ。

かれはもう28歳。

この年齢はサッカー選手としては決して若くはない」

年齢はどうしようもありません……

きっと年齢に関しては本田選手自身が1番自覚していることなんでしょう。

本田選手がケガの治療中もトレーニングを止めないのは、

選手生命はあと数年で”世界一”という夢もあるので、

ゆっくり療養していられないということもあるでしょう。

もちろんクラブとの契約もあるとは思いますが。 

本田選手のストイックな姿勢は海外では驚かれることも多いようですね。 

1日のスケジュールはサッカーとご飯と睡眠、

これで終わりだそうです。

まさにサッカー漬け。

本田選手の夢でもある「世界最高のクラブチーム”レアル・マドリード”でプレーすること」も、

実現するのでは?と思ってしまいます。 

 

ここには全て載せきれませんが、結構手厳しい意見もたくさん見受けられました。

ですがサポーターは正直な意見を言ってくれる存在でもあります、悲しいことに。

本田選手は2014年の1月にACミランに移籍した当初は、

サポーターからブーイングばかり受けていましたから、

「自分はポジティブだ」という本田圭佑本人もさすがに落ち込んだでしょう。

それでも逆境でも諦めずに絶賛される位置まで自分を高めていく。

そん本田選手の姿勢が、私たちの心を熱くしてくれるんですよね。

 

 

さて、これまで本田圭佑選手に対する海外の反応をさまざま見てきましたが、

イタリアの全国紙のサッカー評の欄では、こんなことが書かれています。

 

「昨季(2014前半)の本田圭佑の不調は甲状腺の病気が原因」

 

知っている方も多いと思いますが、本田圭佑選手が病気だったという疑惑がありますよね。

本田選手の首にも手術痕らしきものが↓

本田圭佑 首に手術痕?.jpg

現在は手術も終わったと言われていますが、

病気だったと言えば納得のいく点もありますよね。

甲状腺の病気にかかると体力が低下し、

運動をしていない時でさえ息切れ状態になるといいます。

毎日が体調不良の状態。 

そんな病気にかかっていても本田選手なら、

「病気でもなんでも乗り越えて世界一になる」とか言いそうですよね……

実際のところは本人に聞くしかないのですが、本田選手自身もノーコメントを貫いています。

ノーコメントというのが逆に怪しい気もしますが(笑)

イタリアの主要メディアが報じていることから、病気説も十分に考えられます。

そういえば本田選手が不調だった時、

ACミランの最高経営責任者であるアドリアーノ・ガッリアーニ氏も、

「これまでそうだったように、本田が素晴らしい選手としての状態を取り戻すと確信しているよ」 

とマスコミにコメントしていました。 

いま考えると「最初からわたしは全て知っている」という意味にも解釈できます。 

 

 

とにかく、本田選手はこれまで数々の苦難を乗り越えてきた男ですから、

2015年だけは「乗り越えられなかった……」とはならないような気もします。

これからもさらなる進化をわたしたちに見せつけて欲しいものですね!

 



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本田圭佑インタビュー!VOGUEでの独占取材の内容は? [本田圭佑]

本田圭佑選手は世界的なファッション雑誌の日本版であるVOGUE JAPAN(2014年5月版)で、

ACミランの全面協力のもと独占取材を受けています。

キメてる本田圭佑.jpg

ここではそのインタビューの内容について、

個人的な感想を交えながら見ていきたいと思います!

 

 

まずはACミランがあるイタリアでの生活についての質問。

本田圭佑選手は、

「まだミランに来たという実感はない。

基本的にはサッカー漬けの毎日」

とのこと。

日常生活のほとんどが自宅と練習場との往復だそうですが、

本田選手が望んでいた通りの生活のようです。

ミラノにある世界有数のスタジアムである”サン・シーロ”のピッチにも違和感なく立てているとのこと。

本田選手がミラノに来た始めの頃はチーム自体が低迷していたこともあり、

このインタビューを受けた当時はまだ毎日のようにファンやマスコミからの批判にさらされていた頃でしょう。

記者の「歓声とブーイングの両方を浴びたと思います」という感想には、

「どちらかというとまだブーイングしかないイメージ。

そのへんはイタリアらしいなと。

もちろん想定していたことでもあるし、そうでないこともある。

割と自分は想定外の部分を楽しんでいます。

時間が解決してくれることもあれば、

自分からアクションしていかないと解決しないこともある」 

といった本田選手らしい冷静なコメント。 

でもまだまだこれから行動していくぞという本田選手の意気込みも感じられます。

知っている方も多いと思いますが、

この年(2014年)の後半は、

本田圭佑がセリエAの得点ランキングに名前が挙がるほど大活躍してくれましたからね。 

ワールドカップはさんざんでしたが…… 

着実にイタリアでの努力が実っていく前段階の本田選手。

 

 

お次は「中田英寿さんの空港ファッションが話題になった時代もありましたが、

空港など人前に出る時ファッションなどで特に意識していることはありますか?」という質問。

本田圭佑 空港ファッション.jpg

本田圭佑選手は、

「普段着と空港でのスタイルにそんなに違いはない。

ただ、何を着ようか、どれにしようかとは当然いろいろ考えますけど。

スタイリストさんといつも相談しながら、

ぼくがこうなりたいという方向性を伝え、それに合うような服を準備してもらう。

事前に話し合っているのでイメージとかけ離れた服が並ぶということはないです」

という話。

あの本田圭佑独特のファッションスタイルはスタイリストさんと一緒に考えたものだったんですよね。

「本田圭佑のファッションはダサい!」と思っているアナタ、

本田選手の素のファッションセンスはもうちょっと落ち着いたものだったりして…… 

将来現役を引退したあともスタイリストさんを付けるのかどうかも気になりますね!

年俸も上がりお金は有り余っている(?)ようなので、

個人的にはメディアに出続ける限りスタイリストさんが付くのでは?と思っています。 

 

また、本田圭佑選手は、

「フォーマルな格好では、

けっこう若い頃からそういう服装(本田圭佑的な服装)を着たいという意識自体は持っていたんです。

自分のカッコイイ像みたいなものはずっとあって、

でも実際はカジュアルな格好をする自分もいた。

若い時はまだ今ほどプロ意識が足りなかったのかも知れないですけど、

年々こだわりは強くなっている。

いまはようやく自分が思い描いていたスタイルにちょっとずづ移行できていると思います」 

ということでした。

本田圭佑はスタイリストが中田英寿さんと一緒だといいますから、

まだ無名だった時代に中田英寿選手や、

オシャレ番長としても有名な三浦知良選手(コンビニでさえスーツでキメて行くほど……)を見て、

自分流スタイルのイメージを広げていったのかもしれませんね! 

ちなみに本田圭佑選手のキチッとしたフォーマルなスタイルは、

映画の「ゴッド・ファーザー」から影響を受けているそうです。

ゴッド・ファーザーに興味を持ったのは父親の影響だそうで、

登場人物などからも生き方を学んでいるのだとか。 

 

 

また記者の「いまやサッカー選手という枠を超えた存在として世間から注目されている一方で、

日々の生活ではアスリートとしての生活を送っている。

その2つのギャップをどう感じているか」

という質問には、

「サッカー選手として生きているという感覚はない。

確かに自分と切り離せるものではないですけど、

僕にとっては”本田圭佑”という人間がサッカーをやっているという感覚。

たまたま物心ついたころからサッカーをやっていてという感じ。

サッカー選手という職業が自分に寄ってきたというか。

ただ実際にはサッカーに費やす時間が多いし、

サッカーのことをずっと考えているからやっぱり切り離せない。

いわゆるパートナーのような存在だと思っています」

といった回答。 

世界的なサッカー選手ともなるとサッカーが大好きでサッカー1本で生きてきたと思いがちですが、

本田選手はサッカースクールを経営したり香水などのプロデュース商品を発売するなど、

ビジネスにも関心を持っています。

本田選手は政治家になりたいと思っていたこともあるそうです。

 

 

お次は人を喜ばせる、何かしらの影響を与えて生きていくという、

本田圭佑選手が持つ哲学についての質問に、 

「それを(哲学を)表現するのが自分にとってはサッカーで。

ずっと長年やってきたサッカーはすごく安心できるもので信用しているし、

手段として表現しやすい。

だから切り離せない」

と本田選手は語っています。

その一方で本田圭佑選手は、

「個人的には自分の哲学はまた別のところでも持っていますし、

たとえサッカーがなくても本田圭佑自信を表現することは可能なのではないかなと思います。

僕自身は違う世界での自分にもあまり違和感はない。

他分野ではなかなかうまく表現できない部分があるのは、

世間の人達が”本田圭佑”をサッカーの人間だということを認識しているから。

今の時点では誤解が生じやすいことかもしれません」 

とも語っています。

でも個人的には本田選手がプロデュースした香水などは大ヒットしていますし、

ブランドとのコラボやCMなども成功しているように思えます。

もちろん本田選手のことですから、

サッカーと同じく現状には全然満足していないのでしょうけど。

「周囲に受け入れられて理解されるには今よりも時間がかかってしまうものだとは思う。

それはこれまでプロサッカー選手として10年弱やってきたイメージが皆さんにはあるから。

新しいことをイチから始めるとなればすごく時間を要する。

なんで本田は別のことをやっているの?みたいな目で初めは見られてしまうと思う。

極論を言えば、ボクのやっているスタンスはサッカーだろうとなんだろうと、

同じ哲学で進んでいこうとしています」

と本田選手は語っています。

ビジネスとしての問題というよりは、まずサッカー以外の分野の本田圭佑を、

サッカー選手としての本田圭佑のレベルまで上げたいと考えているのでしょうね。 

 

 

本田選手が「自分は他人を喜ばせることだけのために行動していない。

そんな綺麗ごとで判断を下していない」と言っていたことに記者が触れると、

理想は他人のためだけに行動ができる人間。

そうなれるものならなりたい。

そういうふうな人間がいるとすればボクは心から尊敬します。

ボクはそのレベルには至っていない。

まだまだ自分の損得で動くことも多いし、

自分の我を優先してものごとを決めてしまうことだってある。

もっと人間としてのレベルを高めていく。

いずれそういう人間になっていきたいという強い思いはあります。

本当に他人のためになにかをやってあげたい、

自分の損得を度外視して考えられる人間になれるのであれば、

それはぜひなりたいと思います」

つい最近までは「何がなんでも自分が前に出る!」という感じの本田選手だったような気がしますが、

最近は大人な雰囲気も醸しだしてきていますね。

ACミランに移籍して何か心境の変化があったのかもしれません。 

2012年の秋ころに子供も授かっていますし。 

 

 

そして最後に「他人の評価はどこまで信用しますか?」という質問に、

本田圭佑選手はこう答えています。

「もちろんボクも1人の人間なので他人に褒められると嬉しいし、

最近みたいにスタジアムでああやってブーイングを受けると落胆する……。

ただそれが自分の進むべき道の方向を左右するかと言われたら、それは全然しない。

他人の評価はちょっとした調味料にはなるとは思います。

メインの食材自体は変わらない。

鶏肉だったら鶏肉のままやし、

それが魚に変わるなんてことはない。

だからそれによって自分の根本は変わらないですね。

瞬間、瞬間で嬉しい、ガッカリすることはある。

それがスパイスの代わりになるという感じ」 

本田圭佑選手がビッグマウスや意味不明(?)な発言をすると叩かれることもありますが、

芯の部分はしっかりと持っていることがわかります。

明確なビジョンを持ちながらサッカーをやっていかないと、

本田圭佑選手のようなプレーヤーになるのは難しいというのは自明のことですよね。

 

 

ファッション雑誌ながら、

ファッションの話題は少なめのインタビューでした!

 



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努力の男、本田圭佑。子供時代からACミランまで [本田圭佑]

本田圭佑は天才”と思っているかた、

多いのではないでしょうか。 

確かに日本を代表するサッカー選手ですし、

天才と言われて納得できるところもたくさんあります。 

ですが本田選手自身、「自分に才能はない」と語っています。

本田圭佑 横顔.jpg

ここでは努力の男、本田圭佑の奇跡をたどってみたいと思います。

本田圭佑選手の努力の歴史が、

みなさんの人生の参考になればと願っています。

 

 

まずは本田圭佑選手の少年時代から見ていきましょう。

ワールドカップの出場を決定する試合で本田選手がPKを決めた時、

父方の祖父の大三郎さんがマスコミからインタビューを受けましたが、

大三郎さんは本田圭佑のメンタルの強さの源を問われるとこのようなことを答えました。

「あいつはほんとにメンタルが強いのかなと疑問思った。

負けず嫌いなところがあるのは間違いないけど、強いというより強がっているという感じ。

実はものすごい臆病なんだよ。だからトレーニングも人一倍やらないと怖いし不安になる。

これは本田家の血統と言えるかもしれない」

 

本田選手の意外な一面を見た気がしました。 

ですが本田家の家系は本田選手以外にもオリンピック選手を2人出していますから、

本田家独特のマインドというものがあるのでしょう。

身近なところに成功したオリンピック選手がいるので、

「僕もいつかはなれる」という自信を抱かせたのかもしれません。 

本田選手はある意味恵まれた環境に育ったとも言えます。

 

また大三郎さんはこうも言います。

「圭佑はグランドの中で表現する時と家族の中で話をするときはぜんぜん違う。

外ではふてぶてしく見えるけれど、そんなに大胆なものは持っていない。

気の小さい、人に気遣いする男だよ」 

大抵メディアの前のビッグマウスな本田選手ばかりが取り上げられますが、

”臆病さからくる努力”という裏打ちがあったからなんですね。

 

さらに本田選手は両親の離婚を経験しています。

本田圭佑選手の祖父の大三郎さんはインタビューで

「圭佑は有名になって離れた母親に自分のことを知ってもらいたい、という気持ちがあったのでは」 

ということも言っておられました。 

母親と離れて暮らすことになったということが、

本田圭佑選手のパワーの源になったということは十分に考えられます。

誰よりも長くグラウンドで練習していたという本田圭佑選手。 

”練習した分だけ上手くなる”という、誰もが頭ではわかっていても実行できないことを、

常に実際に実行し続けたというのが本田圭佑という男なのです。

 

ここで本田圭佑選手の祖父の大三郎さんの名言を1つ(笑)

「圭佑は追い込まないといけない。追い込まないと新しいものが生まれない男だ。

だからうんと背負えばいいと思う。

大胆な発言ももっとやればいい。

日本中が敵に回るくらいの発言をすればいい。

ケガをして苦しむのもムダではない。

どんどん苦しめ。

人は流した涙の数だけ強くなる」 

本田圭佑選手に負けないカッコイイ名言ですね……むしろ本田以上!?

まるで長老のような本田選手の祖父のインタビューでした。

本田圭佑 苦い顔.jpg

 

 

ガンバ大阪ジュニアユース時代 

本田圭佑選手はガンバ大阪のジュニアユース時代に挫折を経験したと言われています。

それは実力不足によりユースに昇格できなかったこと。

本田選手はその当時は今のように目立つ選手でもなく、

同学年で当時天才と騒がれていた家長昭博の影に隠れてしまうような存在だったそうです。

中学時代は本田選手も「なかなか良い」と言われるくらいで、

足が遅く体力がないという欠点を克服できずにいました。 

もちろん家長昭博選手いがいにも本田圭佑より上手い選手がゴロゴロしていましたので、

結局卒業まで”準レギュラー”から上へは行けなかったとのこと。

ですから本田選手は遅咲きとも言えるかもしれません。

 

 

星陵高校時代 

ガンバ大阪ジュニアユースを卒業してサッカーの名門、

石川県の星陵高校に入学した本田選手。 

久しぶりに本田圭佑を目にしたガンバ大阪ジュニアユース監督の上野山さんは、

本田圭佑選手の体がデカくなっているのに驚いたそうです。

昔は華奢だったのに「信じられへんな」という状態に。

ですがこの頃も本田選手は体力に問題があり、

自分はあまり動かず仲間に指示ばかりだしていたのだとか(笑)

でもそのあと選手権で活躍して、ようやくプロへの切符をつかむこととなります。 

 

 

名古屋グランパスエイト時代

本田選手は高校卒業と同時に名古屋グランパスエイトに入団。

しかし名古屋グランパスエイト時代もそこまで際立った選手ではなかったのだとか。 

もちろん本人は努力していたのでしょうが、なかなか突き抜けるまでには至らなかった。 

ですが当時のチームメイトいわく「左足のキック力はすごかった」のだそう。 

 

 

VVVフェンロー時代

本田選手はオランダのVVV(フェイフェイフェイまたはフェーフェーフェ―と読む)に移籍したあとも、

なかなか上に登れずにいました。

本田圭佑 VVVフェンロー時代.jpg

チームも2部に落ち、1部のチームにも移籍できない状態。

さらに2008年の北京オリンピックでは活躍するも3戦全敗。 

ですがその頃から本田選手のプレースタイルが変わってきたという証言も。

「何が何でも点を取りにいく」という今のスタイルはその頃の経験が元になっているのだとか。 

 

 

CSKAモスクワ時代

本田選手は日本ではスター選手の仲間入りをしていましたが、

モスクワ時代も現地では注目されるような選手ではありませんでした。

一時的には活躍する時期もあったものの、右膝半月板損傷や左足首の故障など、

ケガも多くフラストレーションが溜まる日々だったでしょう。

チーム内でも不慣れなボランチ(中盤で相手のパスを止め攻撃を止めたり、パスを散らすなど、

ディフェンス寄りの舵取り的な役割)を任され、

思うような結果を出せませんでした。

いまの本田圭佑選手の攻撃的なスタイルは、

その頃の「前に出れなかった」という苦い経験があるからなのかもしれません。 

現地では「しょせん極東のお山の大将」「すでに終わった選手」と言われることもあったのだとか。

ただ本田選手の人一倍努力をするというスタイルは評価されていたようです。

でもそれが結果につながらなかった。 

 

 

ACミラン時代(現在)

念願のACミランについに入団。

本田圭佑がミランに入団できたのはもちろん実力があると認められたからですが、 

「左利きだった」「日本企業からのスポンサー収入が期待できる」など、

さまざまな要因が考えられます。

移籍当初は本田選手の評価は最悪といってもいいほど。

メディアから叩かれる毎日でした。

それでも本田選手は人一倍努力するというスタイルは一切崩さず、

過去の怪我の経験などからコンディション調整などにもかなりの時間を費やす日々。 

そして2014年の後半はついに、

得点ランキングでトップ争いをするほどに成長。  

チームメイトからも、

「本田は素晴らしい選手。常によく練習している。

疲れを取るリカバリーの時も彼は走っている。

努力は報われる。今の結果はふさわしい」

とかなりの高評価。

以前は「ミラン史上最低の10番」などと”本田不要説”が飛び出すこともありましたから、

本田の努力が周囲に認められてきていると言えるでしょう。 

 

本田選手のこんな言葉があります。

「ちゃんとした過程を経て成功するのと、偶然成功するのとでは、

まったく違ってくると思いますよ」

偶然の成功は長くは続きませんよね。

本田選手のように数々の伝説を作り上げていくためには、

努力にもとづいた根本的な部分での実力が必要なのです。

 

 

 

個人的には2018年のワールドカップ(しかも開催地は結果が出せなかったロシア)で、

本田選手が活躍してくれると信じています。

どこまで本田選手が進化するのか、

最後まで見届けたいですね! 

 



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